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感謝
おかげさまで、4月6日(木)に一澤信三郎帆布を開店することができました。 これも皆様からの親身な励ましとご助言を受け、勇気づけられたおかげだと感謝しております。工場立ち退きから1ヵ月、こんなに早く実現できたのも私たちを信頼くださり、無理なお願い、面倒なお願いを聞いてくださった関係者の皆様、信三郎を応援する会の皆様、そして、全国の一澤ファンの皆様のおかげだと感謝しております。 スタッフは開店に向けての準備を急ピッチでおこなったため、疲れはピークに達していましたが、このように開店することができ、お客様の喜んでくださる笑顔を見て疲れが吹き飛びました。 信三郎社長ともども、この経験は人生にとってプラスになると信じ、チャレンジ精神と行動力を忘れず仕事に励んでまいります。
なお、先週末はたくさんのお客様にお越しいただきました。長時間お並びいただいた上、充分な在庫もなくご迷惑をおかけしましたこと深くお詫び申し上げます。
今後は、充分な在庫を確保し、ご注文にもお応えできるよう努力してまいりますので今しばらくお待ちください。
京都は、桜が満開です。京都へお越しの節は、ぜひ一澤信三郎帆布へお立ち寄りください。お待ち申しております。本当にありがとうございました。
なお、先週末はたくさんのお客様にお越しいただきました。長時間お並びいただいた上、充分な在庫もなくご迷惑をおかけしましたこと深くお詫び申し上げます。
今後は、充分な在庫を確保し、ご注文にもお応えできるよう努力してまいりますので今しばらくお待ちください。
京都は、桜が満開です。京都へお越しの節は、ぜひ一澤信三郎帆布へお立ち寄りください。お待ち申しております。本当にありがとうございました。
「信三郎帆布」に行列、1000人以上来店
遺産相続を巡るトラブルから3人の兄弟が対立し、京都市東山区の人気かばん店「一澤帆布」社長を解任された一澤信三郎氏(57)が設立したかばん店「一澤信三郎帆布」が6日、同区内でオープンした。一澤帆布からわずか約30メートル離れた店舗で営業を開始した信三郎帆布には、午前9時の開店を待ちきれず、早朝5時から並ぶ熱心なファンも現れた。約130平方メートルの店内に約40種類のかばんが陳列、この日だけで1000人以上が来店した。
信三郎氏の独立に合わせ、一澤帆布からは職人ら約80人の従業員が信三郎帆布に移籍。従来のノウハウを生かし商品開発を進めてきた。ショルダーバッグを買った大阪府柏原市の主婦(27)は「一澤のかばんを実家の青森や東京の友達に見せると、本当にうらやましがられました。信三郎帆布の商品は、以前のものよりカラフルになった感じがします」とにっこり。
オープンにこぎつけた信三郎氏は「一から出直す以上、より新しい商品を考えていきたいと思っています」と抱負を語った。一方、現在は休業状態の一澤帆布の一澤信太郎代表取締役(60)は「兄弟3人体制が実現できないのは大変残念。信三郎帆布については、その推移を見守っていきたい」とコメントした。
[2006年4月7日10時9分 紙面から]
信三郎氏の独立に合わせ、一澤帆布からは職人ら約80人の従業員が信三郎帆布に移籍。従来のノウハウを生かし商品開発を進めてきた。ショルダーバッグを買った大阪府柏原市の主婦(27)は「一澤のかばんを実家の青森や東京の友達に見せると、本当にうらやましがられました。信三郎帆布の商品は、以前のものよりカラフルになった感じがします」とにっこり。
オープンにこぎつけた信三郎氏は「一から出直す以上、より新しい商品を考えていきたいと思っています」と抱負を語った。一方、現在は休業状態の一澤帆布の一澤信太郎代表取締役(60)は「兄弟3人体制が実現できないのは大変残念。信三郎帆布については、その推移を見守っていきたい」とコメントした。
[2006年4月7日10時9分 紙面から]
京都の老舗かばん工房道路一本挟んでお家騒動泥沼化…NEWS X
京都の老舗かばん工房「一澤帆布(いちざわはんぷ)」。先代の社長・信夫氏が残したとされる「2つの遺言状」が発端となった“お家騒動”は6日、兄弟の亀裂が決定的となった。長男・信太郎氏(60)によって追い出される形で同社を後にした三男・信三郎氏(57)は、元の職人らと新会社「信三郎帆布」を設立。この日、新ブランドを販売する店舗を一澤帆布の斜め向かいにオープンさせた。一方、会社が休業状態となった信太郎氏は、法的手段を検討するとともに、職人を新たに募集するという。
午前9時。「信三郎帆布」に50人以上の行列がなだれ込む。整理券は3時間待ち。結局、オープン初日は一澤帆布時代の繁忙期の倍にあたる約3000人が来店した。盛況に信三郎氏は「人の気持ちと社員の頑張りに支えられた」と感無量の表情。一方、斜め向かいの「一澤帆布」は入り口が閉まったままの休業状態だ。道一本を隔てて見事なコントラストが描かれた。
お家騒動の発端となったのは、信太郎氏が主張した「第2の遺言状」だ。兄弟の父・信夫氏が生前に作成した97年12月12日付の「第1の遺言状」に従えば実質的な経営者だった三男・信三郎氏と恵美夫人(56)が「一澤帆布」株式の大半を保有することになっていた。
01年に信夫氏は他界。死後4か月たって信太郎氏が、生前信夫氏から渡されたという第2の遺言状(00年3月9日付)を持って現れた。株式のほとんどを信太郎氏が所有するという全く逆の内容。効力を巡り裁判で争ったが04年12月、最高裁は第2の遺言状を「偽物とは言いきれない」と認めたのだった。
だが、信夫氏の弟で現役職人・恒三郎(つねさぶろう)氏(88)は第2の遺言状に疑問を投げかける。作成日時には、信夫氏はすでに要介護状態で遺言状が書けなかったことや、便せんにボールペンで書かれていること、さらに名字が「一澤」ではなく信太郎氏の登記上の名字の「一沢」になっていた、と反論した。
昨年12月の臨時株主総会で、信三郎氏は信太郎氏側から社長職を解任された。約70人の職人、スタッフ全員は、これに反発。信三郎氏とともにたもとを分かち新会社設立に参加した。
信太郎氏は京大を卒業後、東海銀行に就職。父の死まで家業には、まったく関心がなかったという。骨董の収集が趣味で、岡崎市の自宅には外車を3台所有するなど、近所では「お金持ち」といわれていた。
しかし「信三郎の所へ何度も金の無心に来ていた」(当時の一澤帆布関係者)と証言する声もある。自宅付近では、海外赴任で留守中の隣人のガレージを、無断使用するなどトラブルもあったという。
同日、一澤帆布前で取材に応じた信太郎氏は「(信三郎帆布に対し)法的手段の対象になるか検討している」と発言。和解については「向こう(信三郎氏)が言って来たら考える」と話した。だが、両者のおじである恒三郎氏はこう言い切った。「和解はない。信三郎がこれだけの仕打ちをされちゃなあ…」
◆一澤帆布 京都の老舗かばん工房。創業は1905年(明治38年)。帆船用の丈夫な帆布を使い、当初は職人たちが仕事用具を持ち運ぶかばんや、牛乳屋の配達かばんを作っていた。その後、京大山岳部も使用し、トートバッグを中心に80年代から人気に。最近では米人気モデルのナオミ・キャンベルも愛用品に挙げるなど、大学生などの若者を中心に大ブレーク。タグに記された店舗住所「知恩院前上ル(北側)」が、おなじみ。商品の種類も現在では200種類を超える。
(2006年04月07日06時00分 スポーツ報知)
午前9時。「信三郎帆布」に50人以上の行列がなだれ込む。整理券は3時間待ち。結局、オープン初日は一澤帆布時代の繁忙期の倍にあたる約3000人が来店した。盛況に信三郎氏は「人の気持ちと社員の頑張りに支えられた」と感無量の表情。一方、斜め向かいの「一澤帆布」は入り口が閉まったままの休業状態だ。道一本を隔てて見事なコントラストが描かれた。
お家騒動の発端となったのは、信太郎氏が主張した「第2の遺言状」だ。兄弟の父・信夫氏が生前に作成した97年12月12日付の「第1の遺言状」に従えば実質的な経営者だった三男・信三郎氏と恵美夫人(56)が「一澤帆布」株式の大半を保有することになっていた。
01年に信夫氏は他界。死後4か月たって信太郎氏が、生前信夫氏から渡されたという第2の遺言状(00年3月9日付)を持って現れた。株式のほとんどを信太郎氏が所有するという全く逆の内容。効力を巡り裁判で争ったが04年12月、最高裁は第2の遺言状を「偽物とは言いきれない」と認めたのだった。
だが、信夫氏の弟で現役職人・恒三郎(つねさぶろう)氏(88)は第2の遺言状に疑問を投げかける。作成日時には、信夫氏はすでに要介護状態で遺言状が書けなかったことや、便せんにボールペンで書かれていること、さらに名字が「一澤」ではなく信太郎氏の登記上の名字の「一沢」になっていた、と反論した。
昨年12月の臨時株主総会で、信三郎氏は信太郎氏側から社長職を解任された。約70人の職人、スタッフ全員は、これに反発。信三郎氏とともにたもとを分かち新会社設立に参加した。
信太郎氏は京大を卒業後、東海銀行に就職。父の死まで家業には、まったく関心がなかったという。骨董の収集が趣味で、岡崎市の自宅には外車を3台所有するなど、近所では「お金持ち」といわれていた。
しかし「信三郎の所へ何度も金の無心に来ていた」(当時の一澤帆布関係者)と証言する声もある。自宅付近では、海外赴任で留守中の隣人のガレージを、無断使用するなどトラブルもあったという。
同日、一澤帆布前で取材に応じた信太郎氏は「(信三郎帆布に対し)法的手段の対象になるか検討している」と発言。和解については「向こう(信三郎氏)が言って来たら考える」と話した。だが、両者のおじである恒三郎氏はこう言い切った。「和解はない。信三郎がこれだけの仕打ちをされちゃなあ…」
◆一澤帆布 京都の老舗かばん工房。創業は1905年(明治38年)。帆船用の丈夫な帆布を使い、当初は職人たちが仕事用具を持ち運ぶかばんや、牛乳屋の配達かばんを作っていた。その後、京大山岳部も使用し、トートバッグを中心に80年代から人気に。最近では米人気モデルのナオミ・キャンベルも愛用品に挙げるなど、大学生などの若者を中心に大ブレーク。タグに記された店舗住所「知恩院前上ル(北側)」が、おなじみ。商品の種類も現在では200種類を超える。
(2006年04月07日06時00分 スポーツ報知)

